潮 晴男 氏 オーディオ・ビジュアル評論家・音響監督
インナーイヤー型ながら低音域に至るまでの豊かさを備えることで、そうしたリクエストを叶えてくれる製品に仕上がっていると思う。
携帯電話やポータブルオーディオ機器の普及で、いつでもどこでも簡単に音楽が聴けるようになった。ヘッドホンはそのためになくてはならない存在だが、巷にあふれる製品の中からお気に入りの逸品を探し出すのは容易なことではない。旧来のブランドに加え、新たに誕生するブランドも多く、ヘッドホン・ユーザーには嬉しくも悩ましい問題である。
マザーオーディオはそうした競合が犇めき合う世界に船出した新生のブランドである。もっとも新生とはいえ、この世界に無縁ではなく、これまでに数々のスピーカーユニットの開発を手掛けるトランスデューサーのエキスパートとして歩んできた。残念ながらマザーオーディオの母体である北日本音響はこれまで自社製品をリリースしたことはなく、OEM受諾による相手先ブランドの製品に特化してきたため、広くオーディオファンに知られる存在ではなかったのである。
マザーオーディオがヘッドホンの開発に着手したのは今から3年前である。その理由はただ一つ、トランスデューサーの開発メーカーとして、その実力を広く世に伝えるためだ。今回リリースされたインナーイヤー型のME5とME8は、そうした彼らのノウハウが凝縮した製品だが、その物づくりはスピーカー開発で培ってきた方法論がそのまま注ぎ込まれている。
ME5とME8の二つのモデルに共通している特徴は、ダイナミック型のドライバユニットに世界最強と謳われるベリリウムの振動板を採用していることである。音圧が異なるのは細部の仕様が違うからだ。またボディにME8は液体合金金属(アモルファス金属)を採用して、ドライバユニットが最適な動作をおこなえるよう作り込まれている。
ME5もME8も耳になじむ形状なので、装着感は極めて良い。いずれのモデルもスピーカー作りの基準で仕上げたということだが、上位機のME8は、さらにその心意気を感じさせる素晴らしい表現力に心ときめく。カレン・ソウサではニュアンスを良く捉え声がリアルに迫ってくるし、ベースラインもしっかりとしていて腰の据わった本格的なサウンドを聴かせる。サン=サーンスも弦楽器のニュアンスがより細やかになり艶やかさも加わる。ホールの空間を豊かに感じさせてくれる点もクラシックファンには歓迎してもらえることだろう。
ぼくは必要に応じてヘッドホンを使ってきたので、それなりに数はある。録音やPAのモニター用、音楽鑑賞用、飛行機や新幹線の移動用などだ。インナーイヤー型は苦手だったが、老眼が進むにつれ、このタイプのありがたみがわかるようになった。密閉型やオープンエア型は眼鏡の邪魔になるからだ。またヘッドホンに関しては頭外定位や前方定位を求めない、位相をいじったり電気的な補正をおこなうと、弊害も発生するからである。では何を求めるのか、それはスピーカーでは聴きとることのできないリアルなサウンド、スピーカー以上にありのままを描写して届けてくれることである。マザーオーディオのME5とME8はインナーイヤー型ながら低音域に至るまでの豊かさを備えることで、そうしたリクエストを叶えてくれる製品に仕上がっていると思う。